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4号機が賑わっていた頃のぱちんこ_#10
4号機が賑わっていた頃のぱちんこ_#10

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さん
- 投稿日:2017/06/10 12:28
このコーナーは、回顧厨ふかちなまが、ぱちんこについて、あーだこーだ言う。
そのきっかけとして、1991年~2006年のぱちんこを振り返る。
そんな内容になっております。
パチスロ4号機が登場してなくなるまで、1991年~2006年。なので、
題して「4号機が賑ってた頃のぱちんこ」
今回のテーマは、5回リミッター
まずは、歴史。
1996年の話。ぱちんこ業界は加熱する人気を抑える年になった。
主に、モーニング規制、ドル箱は4段まで、9回リミッターもあった。
その後1998年頃登場のぱちんこは、5回リミッター規制、保留先読み規制。
その頃のパチスロは、ノーマルAが主流だった最後の時期。
1996年、1997年あたりはクランキーコンテスト、レッツ、ゲッターマウス、ワイワイパルサー、ワンパクパルサーなど。
1998年はCT機、大量獲得機、多ライン機登場の年。サンダー、バーサス、花火、マンクラ、ビーマ、ドクターエー7など。
5回リミッター規制は、最近の広告規制と似ている事がある。
一番目立つものをやめさせる。
本質の部分は規制されていない。
規制の理不尽
結局、何も解決しない。
さらに規制が強まる。
行き着くところに行き着いた結果。
それが、5回リミッター。
今年の10月から始まるパチスロの3000枚規制も、1998年のぱちんこ5回リミッターも。
リミッターが人気を下げると思ってる人が多いが、実はそうでもない。
そもそも、加熱しすぎた人気を抑えるために登場した機械。
それ以外の部分でも人気を抑える事がいっぱいある。
5回リミッター機も、その分確率もしくはゲージが甘ければ、人気は持続していた。
ボーダー20〜24回転/k円から24〜28回転/k円に変化して、さらに無調整時の回転率がそのまま。タイヨーエレックの海底天国なんかは、液晶をでかくしたので、ヘソに寄らない。そんなのもあり、無調整時の回転率が下がった台もある。確率が重く、投資がかさみ、玉単価が高い。リミッターがあるので魅力がない。それまでの台と比較して、打つ理由がなくなる。
5回リミッター機を自分なりに簡単に説明するとこんな感じ。
パチスロ3000枚規制も、それだけなら全く問題ない。ただ、規制する理由を考えると、それだけの規制になる訳がなく、コイン持ちが高く、確率が重い。なので、打ってるとたるくなる。フリーズ演出が多発して、時間ばかり消化されて、出玉が伴わない。そこに、リミッターがあるので魅力を感じない。
おそらくはこんな感じになるのかなと思う。
そして。今回一番書きたい事。
5回リミッター時期といえば。
バブル崩壊の時期の最もコアな年
この1997年、1998年。大学卒業した人。
あと、その前後の1996年と1999年に大学卒業した人も。
ぶち当たった
就職難
まあ、自分がそうなんですけどね。
それでも、なんとか1998年4月に新宿の会社に就職。
会社帰り、パチスロを打つ事多かったけど、パチンコはリミッター機を打ってた。
この当時、就職難に当たった人はだいたい思ってたかな。
社会人として生きなくても良いかな。
フリーターでいいや。
自分も2年しないうちに結局、会社を辞めて、スロプー、そして間も無く、フリーター。
まあ、そんな時代背景もあった5回リミッター
リミッターまで到達したのは、大一のいれてなんぼと、初代海物語。
佐々木さんのお題、ベストバウトで選ぼうと思った事の一つ。
会社を無断欠勤、新橋あたりだったかのパチンコホールで海物語を打つ。
これ、リミッターまで行ったら辞表書くわwwwwとか言いながら打ってたら
本当にリミッターまで行ったという。
家に帰ると、会社からの置き手紙。
「ちゃんと会社に連絡してください。ケリをつけるなら、辞表を書いてください。」
そんな内容。
2つ重なり、親にも友人にも誰にも相談なし、次の就職先もなしで、辞表を書く。
そんな思い出いっぱいの 5回リミッター機でした。
次回のテーマは、今回とワンセット。2回ループ機の話
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