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あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

2014.09.05

あのときオレはクズだった 第11回

田中(クズプロ田中→クズ田中→田中) 田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)   あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

ロースハムと大量獲得機の二刀流で人生を切り開ける……か!?


 魔法のカードに手を出し、どんどん借金が膨らんでいく友人のマブを見ていて、正直、このままではマズいと思った。大阪の家は家賃も電気代もなにも払わずに、数ヶ月ほったらかし。ことが大きくなる前に収束しなければいけないと、そう感じた自分は両親に相談をし、大阪の家を引き払い、住み着いていたマブの家を出て実家へ戻ることにした。

 両親には数ヶ月も前から愛媛に戻っていたことはもちろん言わず、吉本の養成所がいかに意味のないものか、あんなところに行くのは時間の無駄だから帰ってきたと、自分は悪くないアピールを目一杯して戻ったわけだが、だからといってさすがに実家で毎日ゴロゴロしているわけにもいかない。というわけで、なにか仕事を始めようと、実家ちかくのバス停に山積みにされている無料就職情報誌を持って帰り、鼻くそをほじりながら眺めていた。

 警備員は……夏は暑そうだし冬は寒いよなあ。パチンコ屋は……打ちたくなるから無理だよなあ。接客業は……同級生とかに会うとイヤだしなあ。もともと、仕事をやりたくないというのが人生のテーマなのだから、いくら情報誌を眺めたところでやりたい仕事なんて見つかるわけがない。仕事を探しているというポーズだけで2週間くらい親の目をごまかしてはいたが、そろそろ本格的に始めなきゃヤバいなと、日に日に質素になる食卓のおかずを見ながらそう感じていた。そんなときに、高校を中退してクランキーコンテストで喰っていたろくでなしの友人イサオから、一本の電話が入ったのだった。

「マブから松山に帰ってきたって聞いたけど、まだパチンコやりよん? オレ、とうとう金がなくなったんやけど、一緒に仕事せん? オレらの家の近くに、仕事のラクそうな会社を見つけたんよね」

 ふむふむ。聞けば、自宅から徒歩5分のところにある小さな会社が、物流のドライバーを募集しているとのこと。時給も愛媛では破格の850円と高かったので、その足で電話をして、二人で面接へ行くことにした。

 志望動機や意気込みなど、そんなものは一切ない。あるわけがない。どうせちっぽけな運送会社。はりきってもしょうがないわけで、家が近くて金がほしいから応募しましたと、二人とも素直にそう告げたら、見事に合格。翌日から働くことになった。

 その会社は大手の下請けで生きている会社で、個人宅への小さな荷物の配達が主な業務。そんなわけでイサオは小包の配達をやることになったのだが、自分に任されたのは某大手ハム会社のハムを各所に届けて回る仕事だった。

 毎朝、朝の8時半に出社して、冷凍車に乗ってハム会社へ向かう。ハム会社に着くとその日の配達先伝票を渡されるので、そこに書かれているハムを冷凍庫から車に詰め込み、レストランやスーパーに配達をする。たったこれだけのことなのだけど、これがなかなか難しい。冷凍庫内ではうすぎりホワイトロースハムの場所がどこかわからず凍死しそうになるし、配達先の場所も覚えていない。道に迷って配達が遅れ、事務所に戻るのは夜の7時ということも珍しくなかったのだが、それも2週間もすれば慣れてきた。

 長く仕事をすればそれだけ時給が発生するのだからゆっくり仕事をすればいいものの、やっぱり本音はできるだけ仕事を早く終わらせて打ちに行きたい。となると、どこで時間を短縮するか。もちろん法定速度をオーバーして走るわけにはいかないので、当日のルート作りを考えた。朝にその日の伝票をもらうと、考える。時間による道の混み具合や抜け道の有無。それらを考慮した上で完璧な配達プランを立てて望んだ結果、どうなったか。いままで夜の7時までかかっっていた仕事が、圧倒的に早く終わるようになった。仕事もできるようになり、配達先には田中ではなく伊藤さんと呼ばれるようになる。電話を取るときに「はい、アルトバ○○ルンでおなじみの○藤ハムです」と名乗ることを許されるようになり、ハム会社の人間にも気に入られ、冷凍庫にも自由に出入りすることを許可された結果、早い時は3時、平均しても夕方4時には仕事が終わるようになっていた。

 夕方4時に事務所に帰るとすぐさまタイムカードを押して、そのまま走って自分の駐車場へ。運送会社のおっさんから25万円で買ったホンダのビガーという車に飛び乗ってパチンコ屋に向かい、とにかく閉店まで打つ、打つ、打つ。そんな生活がスタートしたわけだが、当時、狂ったように打ち倒していたのが、大量獲得機のビーマックスだった。

 とあるお歳暮シーズンの夕方。いつものように4時半にパチンコ屋に到着し、打ち始めてしばらくすると会社の常務から電話があった。

「田中、いまはお歳暮シーズンで忙しいんやけん、ひとりで早く帰られたら困るんじゃ。いまから会社に出てきて、みんなとお歳暮配らんかい。はよ、戻ってこい」

 それに対して、自分はきっぱりとこう言った。

「常務。ボクはビーマックスを打つために仕事をしているんですよ。ビーマックスを犠牲にしてまで仕事なんてできるはずがないでしょう。いまビッグ後のいいところで、それどころじゃないんです。切りますよ。それじゃ、また明日」

 いま考えたら18歳のクソガキが50歳を超えた常務に言うような言葉ではないが、ここから、ハムの配達とビーマックス、怒涛の二刀流が炸裂することになる。そしてこの数カ月の二刀流生活が、のちの自分の人生を大きく変えることになるのだった。

【メーカー】アルゼ 【販売年月日】1998年11月 【タイプ】A 【特徴】技術介入大量獲得機
【田中氏のコメント】
1998年にアルゼより発売された、大量獲得タイプの先駆けマシンとも言える『ビーマックス』。ボーナスだけで出玉を増やすタイプの機種であるが、ビッグ中の小役ゲームでは高確率で15枚役が揃うため、1度のビッグで600枚以上のコインを獲得できることもあった。なお、リプレイハズシはテンパイラインによっては逆ハサミのアシストがあったものの、基本的にビタ押し。リプレイハズシの重要性が非常に高い、まさに技術介入機であった。

クズの成績表:★★★★☆(ハムの人。ただしクズ)

いや、ほんと、たいしたクズですよ。
両親を説得するプレゼン力、最適な配達ルートを構築する構成力、NOと言い切る精神力、どれをとっても高レベル。
ベクトルだね。力のベクトル。なにかキッカケがあれば世のため人のためになれそうだもん。要するにあれだ、ボタンの掛け違いクズだね。カテゴリー的に。
ビーマを熱く語られた常務さんのリアクションを知りたいですね。まぁ、クズを見抜く目を持たなかったアンタも悪いよ。

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田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)
代表作:あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

パチスロ好きが高じて21歳の時にパチスロ必勝ガイドにてライターデビュー。若手時代は勝ちキャラだったものの徐々にクズっぷりを発揮し、昼はギャンブル、夜は酒をモットーに活動を行う。30歳で思い立ってフィリピンに英語留学へ行き、2012年の2月より世界の子ども支援を行うNPO法人セブンスピリットを設立。フィリピンのセブ島でNPO活動をしながら執筆も行っている。

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