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あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

2015.07.24

あのときオレはクズだった 第33回 ~第2部ガイド編~

田中(クズプロ田中→クズ田中→田中) 田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)   あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~


人生山あり谷あり。波乱万丈のスランプグラフはどこに向かうのか……。


 誕生日をすっぽかして塾長おじさんと小岩のキャバレーでハッスルしたことをきっかけに、これまで冷戦状態にあった同棲中の彼女との関係は、一気に交戦へと発展した。


 これまでの5年間のお互いを全否定するような舌戦が繰り広げられる2DKのアパートの居心地は最悪。もう関係を修復することは不可能なわけで、同居を解消するしか手がないのはわかっていたのだけど、ひとつだけ問題があった。


 この家は就職を機に彼女が借りた家。ということは、同居を解消するにあたって出ていかなければいけないのは自分なわけで、そのためには引っ越し資金が必要となる。そんな打算的な思惑を胸に結論を先送りにしていたのだけど、街中からクリスマスの喜びが溢れる12月のとある日、いつものケンカの勢いで、ついに最後の言葉が飛び出したのだった。


「もうわかった。もういい。来週には家を出ていく。それで文句ないやろ?」


 さて。これまでも密かに家は探していたが、残り一週間で出ていかなければいけないとなると、のんびりしてはいられない。フリーランスのライターという、世間的にはフリーターよりも信用のない水商売ゆえに契約できる物件は限られていたが、悠長なことは言ってられなかったので、編集長にお願いした。


「なんとか、僕を白夜書房の社員ということで口裏を合わせてもらえませんか。そうしないと、家の審査が通らないんです」


 しかし、さすがはキラー吉良。そんなことはできないと一蹴されたわけだが、同時にこんな提案をいただいた。


「いま田中がやっている連載があるだろ。あれを不動産屋に見せれば、定期的に仕事があるライターとして、少しは信用してもらえるんじゃないか?」


 翌日。ドン・キホーテで買ったぺらぺらの着流しを着て、オレも織田信長のような男になりたいとバカのように叫びながら旅打ちをするという、編集のわるふざけで始まったとしか思えないカラーの連載ページ、それを広げて不動産屋に直談判する田中青年の姿があった。


「これを見てください。ほら、僕は何十万部も刷っている月刊誌のカラーページで、こんな連載を持っているんです。これでなんとか、部屋を貸してください‼」


 その連載のページをコピーしながら、担当の女性が、冷たい口調でこう言った。


「で、これはいったい、なにをしている連載なんですか?」


 なにも言葉が出てこなかった……。


 それでもなんとか高田馬場からさほど遠くないところにある1LDKの物件を契約することができた。家賃が11万5000円で、駐車場代が2万5000円。計14万円の敷金2か月、礼金2か月で初期費用は56万円。さらにテレビやベッド、洗濯機に冷蔵庫と家財道具一式を揃えたら、あっという間に100万円。こつこつと機種ページを書いて蓄えていた貯蓄を一気に吐き出すことになった。


 お金なんてただの紙切れ、数字でしかないわけで、そんなものなくなったって別にかまわないんだけど、貯蓄のない状態で来月から月14万円を確実に捻出しなければいけないというのは、相当なプレッシャーである。まあ、だったら車を手放して、家賃8万のワンルームに住めばいいじゃないかって話なんだが、スロッターとはバカな生き物である。1万円くらい、リセット狙いで簡単に稼げるじゃないかと、そうやって物件の条件をワンルームから1DKに、1回飲みにでるのをヤメれば1万円浮くじゃないかと部屋の大きさを6畳から8畳にとどんどん上げていき、最終的には勢いでハンコを押したというわけだ。


 とはいえ、久しぶりの一人暮らしはやはり快適だった。いつ起きようが、いつ帰ろうが誰にも文句を言われない生活。もう二度と、一時の感情で誰かと住むなんてことはヤメようと、このとき強く誓ったわけだが、誰も自分を叱ってくれない状況というのは、ある意味では危険。これまでよりも格段に歌舞伎町が近くなったということもあって、週5で朝まで飲むようになった。  


 朝イチにリセット狙いをして、かえって昼寝をして夕方まで原稿。誰かから連絡があったらタクシーに飛び乗って歌舞伎町に行って、朝まで飲んで……。こんな生活をしていたら、金なんて貯まるわけがない。案の定、しばらくはギリギリの生活を送っていたんだけど、ここで大きな転機というか、ありがたいお話しをいただくことになった。


「おい、田中。今度、マッパチのふたりがBSでテレビに出ることになったんだけど、そのメンバーのひとりとしてお前も出ない? オレも誘われたんだよね」


 塾長おじさんが振ってくれたこの話によって、収入は急上昇。人生のバブルが始まることになろうとは、このときはまだ想像もしていなかった……。


 

 


あのとき打っていた「デビルマン」
 

【メーカー】エレコ 【販売年月日】2005年10月 【タイプ】ボーナス+RT
引っ越しを行ったのは2015年の12月25日。パチスロ業界がみなし機問題に揺れ、徐々に5号機が出始めたころだったわけだが、別れの直前に打った記憶があるのが5号機の『デビルマン』。データ取りをしながら、設定が1と6のふたつしかなく、千円で40Gちかく回るこいつを打ちながら、スロと自分の人生はこの後どうなってしまうのかと、そんなことを考えたのだった。

 


クズの成績表:★★★☆☆(あ~、あったね)
 

オレも織田信長のような男になりたいとバカのように叫びながら旅打ちをするという、編集のわるふざけで始まったとしか思えないカラーの連載ページ

あ~、あったね。 本当に謎の企画。

私はクズ田中のファンだったから、遂にカラーページで企画持てるようになったのか、と感慨深くページをめくってたわけですが、確か、あれ、とてもつまんなかったよね?

あなたはファンの心を裏切ったのです。

しかしあのページで部屋を貸しちゃう不動産屋さんって相当にぬるいな。
 

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田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)
代表作:あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

パチスロ好きが高じて21歳の時にパチスロ必勝ガイドにてライターデビュー。若手時代は勝ちキャラだったものの徐々にクズっぷりを発揮し、昼はギャンブル、夜は酒をモットーに活動を行う。30歳で思い立ってフィリピンに英語留学へ行き、2012年の2月より世界の子ども支援を行うNPO法人セブンスピリットを設立。フィリピンのセブ島でNPO活動をしながら執筆も行っている。

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