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あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

2014.06.13

あのときオレはクズだった 第5回

田中(クズプロ田中→クズ田中→田中) 田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)   あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

【メーカー】大東音響
【販売年月日】1996年
【タイプ】A
【田中氏のコメント】
当時、打っていたメインの機種は高校時代と変わらず花火だったが、それよりもまったく金のないなか、人の後ろでバカみたいに何時間も覗き見をしていたキングガルフがとにかく印象に残っている。大東音響のキングガルフは「状態」に入れば数十ゲーム以内にボーナスが連チャンし続ける仕様のいわゆる裏モノが大半で、一撃で5000枚オーバーのコインを吐き出すことも珍しくなかったのだけど、うちの近所にあったキングガルフはショボいバージョンで滅多に出ていなかった。7.6枚交換でよくこんな台を打つもんだと、いまさらながら思わずにはいられない。

環境も言葉も交換率もまったく異なる新天地での地獄のような27日間……

 パチスロに明け暮れながらもなんとか高校を卒業した自分は、卒業と同時に生活の舞台を愛媛から大阪へと移すこととなった。なぜか。吉本興業のお笑い養成学校、NSCに入学したからである。  

 正直、いまの寡黙な自分しか知らない人からすれば、人前に出るお笑い芸人になりたかったことなど想像できないかもしれないが、中学時代から将来は芸人になると決めていた自分にとって、この流れは至極当然。はなから大学に進学するつもりがなかったからこそ、高校時代はとにかく勉強そっちのけでパチスロに打ち込むことができたというわけだ。

 では、なぜ芸人になりたいと思ったのかというと、ズバリこれに尽きる。


 とにかく仕事をしたくなかったから。


 この考えはいまでも自分の根底にあって、芸人、フリーのライター、NPO法人と、脈略もなくフラフラしているように思えるかもしれないが、そのすべてに共通しているのは「仕事をしたくない」の一点のみ。とにかく、いかに仕事をせずに「遊びのようなことをしながら」生きていくか。自分の人生はこれを徹底しており、ブレているようで実はまったくブレていなかったりする。

 そんな話しはさておき、18歳にして始まった大阪でのひとり暮らし。西成の萩ノ茶屋という、日雇い労働者や路上生活者が山ほどいる地域にあるボロアパートでの暮らしが始まったわけだが、そんな新生活が始まっても、生活の最優先はやっぱりパチスロだった。というかNSCは行っても発声練習とか筋トレとか、そんなことばかり。授業はまったく楽しくなく、より楽しいパチスロに時間を割くのはむしろ必然だったわけだ。

 7.6枚交換の店で朝から晩まで花火を打つ毎日。低交換率がゆえに設定状況は愛媛に比べて良く、結果としてボーナスがより当るわけだから打っていて面白い。しかし、である。7.6枚交換というのは思っている以上に厳しく、少しくらいボーナスが多めに当たっても、思うように勝てない。恥ずかしながら当時は月に5万円の仕送りをもらって生活をしていたわけだが、大阪に移り住んで3ヶ月目のこと。月末におろした5万円の生活費。そのうちの48000円をたった3日で負けてしまったのである。

 残り27日を2000円で過ごさなければならない。そして家にあるのは米と調味料のみ。さて、どうしたものか……。ひとしきり考えた自分は2000円すべてをつかってショッポ。要するにタバコのショートホープを買うことにした。食料よりもなによりもタバコを優先する愚行。いま考えると完全にバカだが、そこからはまさに修行僧のような日々が始まった。

 朝、ものすごい空腹で目を覚ますと、まずはシケモクのショッポを吸い、炊飯器で米に醤油だけ垂らした醤油飯を1合炊いて半分だけ食う。それから二度寝をして、昼過ぎからパチンコ屋で人が打っているキングガルフを5時間くらい見て、その後は近所の路上生活者と談笑。夜になったら家に帰り、残り半分の醤油飯を食って寝る。電車賃がないし行けば腹も減るからもちろん養成所にも行かない。ただただそんな27日間を過ごした結果、どうなったか。身長177センチにして60キロ弱あったはずの体重は、およそ4週間で48キロにまで減っていた。あの、月末にあらたに5万円を手にしたときの嬉しさったらもう……。その金を手に、真っ先に向かったのがパチンコ屋だったことは言うまでもない。やはり、クズが生きていく上で必要なのは食よりもパチスロだったわけだ。

 しかし、またいつこんな状況に追い込まれるかわからないため、定期的にお金が入ってくるよう対策をしておく必要がある。パチスロを確実に打つために、それなりの定収入を確保する必要があると、そう考えた自分はアルバイトを始めることにした。アルバイト情報誌の中からとにかく時給がいいことを条件に探し出したバイトは、夜の蝶が飛び交う高級ラウンジのボーイ。どう考えてもヤ●ザにしか見えない怖面のオーナーを面接で見た瞬間、やっぱりヤメようと思ったが、少し伸びた坊主頭にヒゲ面。さらに痩せこけた顔がオーナーの大好きな「しゃぼん玉」の頃の長渕剛に似ていたらしく、即採用。靴も服もオーナーのポケットマネーで買い与えられ、朝はパチスロ、夜はボーイの日々が始まることとなった。

 店での呼び名は田中ではなく、当然のようにナガブチだった……。

《お~い、ナガブチく~ん(笑)》

 

クズの成績表:★★★★☆(ナガブチ)

いいよ。すごくいいよ、ナガブチくん(笑)。出てきてるよクズ感。
「とにかく仕事をしたくなかったから」。
なんか「全くブレていない(キリッ)」なんて力説されちゃうと、私、テンション上がっちゃいますよ。今回は素晴らしかったので★4つを差し上げます。ほい。

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田中(クズプロ田中→クズ田中→田中)
代表作:あのときオレはクズだった~田中の回胴回顧録~

パチスロ好きが高じて21歳の時にパチスロ必勝ガイドにてライターデビュー。若手時代は勝ちキャラだったものの徐々にクズっぷりを発揮し、昼はギャンブル、夜は酒をモットーに活動を行う。30歳で思い立ってフィリピンに英語留学へ行き、2012年の2月より世界の子ども支援を行うNPO法人セブンスピリットを設立。フィリピンのセブ島でNPO活動をしながら執筆も行っている。

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